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Friday, April 2, 2021

「俺、元々中学の教師だったんだ」焼き肉パーティーで皆を驚かせた田中邦衛さん - 読売新聞

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 「北の国から」など道内を舞台にしたドラマや映画で活躍した田中邦衛さんは、撮影の合間に町を歩き、地元の人たちに声をかける気さくな人柄で知られた。富良野や新冠、羅臼……。田中さんと触れあったゆかりの人たちは、突然の別れを惜しんだ。

 「あまりにも突然で信じられない」

 北の国からの劇中に登場した富良野市の料理店「くまげら」の店主・森本毅さん(78)は、そう肩を落とした。

 ドラマ放映が始まる前の制作記者会見は、店2階の宴会場で開かれた。ロケの休憩中、田中さんはよく店にお茶を飲みに訪れた。「(ドラマ主人公の)五郎とそっくりな気さくな人で、家族のような存在だった。『くにさん』と呼んでいたが、ドラマのイメージが強くなり、いつしか五郎さんと呼ぶようになった」と懐かしんだ。

 田中さんが夕食を食べに訪れたという居酒屋「炉ばた」大将の田村栄治さん(73)は「体調を崩したと聞いて心配していた。元気になって富良野に戻ってきてほしかった」と悼んだ。田中さんが食べたのは、たら汁やおにぎり、焼き魚。「帽子にジャンパーというドラマからそのまま出てきたような素朴な姿が印象的だった」と振り返った。

 経営する木材会社が撮影現場となった仲世古善雄さん(77)は「富良野のことを気遣ってくれて、感謝しかない」。田中さんはロケ中、バスで市内を移動していたといい、仲世古さんは「バス停で住民たちと和気あいあいと話していた姿を覚えている」と目を細めた。

 ロケを支えた人たちも、気さくな人柄をしのんだ。

 当時、新富良野プリンスホテルの係員としてロケ隊や俳優陣の受け入れ窓口を務めた峰廻みねまわり賢さん(66)によると、田中さんは温泉好きで、地元の温泉に出かけるなど、富良野を満喫している様子だった。自宅に田中さんを招き、近所の人たちと一緒に食事をしたこともあるといい、「気さくな人で、友達も多かった」と話した。

 ロケ開始を1か月後に控えた1981年夏、田中さんら俳優陣は、地域に慣れるため富良野市に現地入りした。地元青年会議所の理事長だった会田系伍さん(80)が歓迎の焼き肉パーティーを開いた席上、田中さんは「俺、元々中学の教師だったんだ」と言って一同を驚かせた。会田さんは「そんな人がなぜ役者をしているのか、みんな不思議がっていた。あの場面が忘れられない」と述懐した。

 映画やドラマの撮影は富良野以外の地域でも行われ、映画「優駿ゆうしゅんORACION」のロケが行われた新冠町の「新冠橋本牧場」取締役橋本寿子さん(64)は「知人に頼まれて田中さんにサインをお願いすると快諾してくれた。知人の子どもを抱っこして写真撮影にも応じ、驚いた」と振り返った。

 ドラマ「北の国から2002遺言」では、羅臼町の飲み屋で田中さんが町の漁師らと飲んだり歌ったりして大騒ぎする宴会シーンに、同町の食堂経営舟木清一さん(69)が漁師役のエキストラとして出演。悲報を聞いて「とても残念だ」と嘆いた。

 北の国からの五郎は、「純」や「蛍」とともに2001年、富良野市の名誉住民となった。市は近く、市民らが参加できる別れの催しを開く方向で検討しているという。北猛俊市長は「五郎さんが富良野に残してくれた人生観は大きなものがある。ご冥福めいふくを祈るとともに、彼の生き方を継承できる取り組みを市民と一緒に考えたい」と静かに語った。

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